【驚愕】人間は何から出来ているのか ~原子で生まれ変わる

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人間は何から出来ていると思いますか?

筋肉、骨、血液…。など、様々な回答があると思います。

では、その筋肉、骨、血液は何から出来ていると思いますか?

それは、「原子」です。

ここでは、その人間を形成し、そしてあらゆるものをも形成している原子の不思議についてお伝えします。



あらゆるものを形成している「原子」

かつて、カリフォルニア工科大学の物理学者リチャード・ファインマンは、科学の歴史において「すべてのものは原子で出来ている」と述べました。

原子はあらゆる場所にあり、あらゆるものを形成します。

わかりやすく説明すると、今あなたが手にしているスマホ、パソコン、タブレットやテーブル、椅子、テレビなど、全て原子から形成されています。

上記で挙げた固体に限らず、水や空気なども原子から出来ています。

原子がそのものを機能させるうえでの基本的な配列こそが分子です。

1個の分子は、二個以上の原子が一体となったものであり、安定した配列となっています。

あらゆるものは、この分子の莫大な数から出来ています。

一立方センチメートルの空気あたり、450億個のさらに十億倍の分子が詰まっています。

分子ってどれだけ小さいのでしょうか…。

想像すらつきません。

一立方センチメートルあたりでそれだけの量の分子が存在する中、では、家の外の景色にはどれだけの分子があるのでしょうか。

また、宇宙規模で考えるとどうでしょうか。

とにかく、原子は豊富にあるということが分かります。

人間は「原子」から出来ており、生まれ変わっている

原子は耐久性にすぐれていると言われています。

あなたが所有する原子は、宇宙でいくつかの星のそばを通り、何百万という生命体の一部となってから、あなたを形成するに至っています。

原子単位で考えると、私たちの身体は、おびただしいほどの原子から形成されており、人間が死に至ると、原子は分解し、飛び去って、また新たな活動場所を見つけ出します。

このように、原子は再利用されており、かなり多数の体内原子(多ければ各人十億個ほどの原子)が、かつての歴史上の有名人物の原子である可能性は充分にあるという事になります。

今、あなたの身体を形成している原子が、織田信長だったりチンギスハンだったりするかもしれません。

こういった意味から考慮すると、「人間は生まれ変わる」という発言も間違いではありませんね。

原子は人間だけに限らず、草花の一部や、住宅の一部など、あらゆるものに再生します。

また、それだけに留まらず永遠に移動し続けます。

実際には、原子がどのくらい長く生きられるのかは研究の範囲では分かっていません。

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【驚愕】宇宙の謎3選に迫る!①

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宇宙には、信じられない謎があります。

というか謎だらけと言っても過言ではありません。

ここでは、そのたくさんある中の3つの謎に迫ります。



①ブラックホールの謎

ブラックホールは、太陽の20倍以上重い星が一生を終える時、自らの重力に耐え切れなくなり、中心にぎゅ~っと集められ爆発してできたものなのです。

そして、大爆発が起きた後も、中心部は重すぎて自分の重さを支えられず、さらに中心へつぶれ続け、重力も強くなっていくのです。

こうして光さえも脱出できない程の重力が強いブラックホールが誕生するようです。

ブラックホールに吸い込まれた人間がいたとしたら、どうなるのでしょうか。

吸い込まれた人間は極めて大きい重力の力でどんどん吸い込まれ、身体が重力のせいで引き延ばされやがてちぎれると言われています。

それを傍から見ている人がいたとしたら、アインシュタインの相対性理論により、ブラックホールの重力によって空間がゆがんでいる為、吸い込まれている人間はブラックホール入り口付近で止まって見えるのです。

ブラックホールやその付近では、物理法則が成り立たなくなっているのです。

②多世界解釈の宇宙

量子力学の理論の一つで、歴史は常に様々な「世界」に分岐しています。

「母宇宙」があり、それから分岐した宇宙が「子宇宙」です。

この世の宇宙はひとつではなく、無数にあるという解釈です。

③ダークエネルギー、ダークマターとは

現代宇宙論において、加速しながら膨張していると考えられている仮説上のエネルギーを、ダークエネルギー(暗黒エネルギー)と呼んでいます。

ダークエネルギーは、重力とは反対方向の力を持つ反重力のエネルギーを指しています。

宇宙が加速膨張する為には、重力エネルギーに逆らうような、重力よりも強い逆方向のエネルギーが必要不可欠となります。

宇宙論において、そのエネルギーをダークエネルギーとしているのです。

また、宇宙には、質量はあるがその存在が明らかにされていない物質もあり、その物質をダークマター(暗黒物質)と呼んでいます。

宇宙のエネルギーに占める割合は、通常の原子等の物質が4.9%、ダークエネルギーが68.3%、ダークマターが26.8%とされています。

言い換えると、私たちが宇宙で存在確認しているものは、全体の5%にしか過ぎないという事です。

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【歴史に名を残す人物】車いすの宇宙物理学者ホーキング博士の生涯

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難病を抱えた「車いすの天才物理学者」と知られているスティーブン・ホーキング博士が76歳でこの世を去りました。

英主要メディアが親族の話として、ケンブリッジの自宅で亡くなったと、2018年3月14日に報じました。

冥福をお祈りいたします。



車いすのホーキング博士

ホーキング博士は、21歳のときに運動ニューロン疾患(MND)の進行により、車いす生活を強いられました。

ただ、医師からは余命2年とも言われていたものの、幸いにも病状の進行が非常に遅かったため今日まで生き続ける事ができ、50年あまりにわたって研究を続けることができました。

その代表的な業績といえば、数学者で宇宙物理学者のロジャー・ペンローズ氏とともに一般相対性理論と関わる分野で理論的研究を前進させ、1963年にブラックホールでは一般相対性理論が破綻するという特異点定理を証明し世界的に名を知られた。

1971年には「宇宙創成直後に小さなブラックホールが多数発生する」とする理論を提唱、1974年には「ブラックホールは素粒子を放出することによってその勢力を弱め、やがて爆発により消滅する」とする理論(ホーキング放射)を発表そしました。

量子宇宙論という分野を形作る基を築き上げた第一人者であり、現代宇宙論に多大な影響を与えた人物であります。

このホーキング放射の発表では、科学誌Natureの表紙を飾ることになり、ホーキング博士は一躍全世界にその名前と姿を知られることとなりました。

ホーキング博士の人気は世界中にわたる

1988年に発表された書籍『ホーキング、宇宙を語る』はロンドン・サンデータイムズ紙で長年にわたってベストセラーとなり、20年のあいだに発行数1000万部以上を記録しました。

2014年には、ホーキング博士を献身的に支えた前妻ジェーンとの物語を綴った映画『博士と彼女のセオリー』が公開されました。第87回アカデミー賞では5部門にノミネートされ、博士を演じたエディ・レッドメインが主演男優賞を受賞しています。

ホーキング博士の警告!人類は100年以内に滅びる

近年発展を続けるAIについては博士は懐疑的で、2015年にはアップル共同創業者のスティーブ・ウォズニアック、SpaceX CEO イーロン・マスクらとともにAIを搭載する自律ロボット兵器の開発使用禁止を訴える書簡を国連に提出したりもしていました。

ホーキング博士は、新しい技術が間違った方向に進む可能性があることを強調し、それを扱う人類のあり方について警告を発していたようです。

天才物理学者のアルベルト・アインシュタインもそうだったように、彼と同様にホーキング博士は、科学技術が社会に与える影響を私たち人類が充分に考慮し、正しい方向を向いていることを確実に明確にしていくべきだと指摘しました。

つまり、私たち人間が科学に対する基礎的な理解を持ち、確かな知識に基づいて地球の未来を客観的に考え、意見を表明できる必要があるということです。

博士が、このような発言を繰り返していたのは、まさに、私たち人類に科学への感心を持ってもらい、地球の未来が破滅にならないように警告をしていたためであり、それが科学者としての責務であると自覚していたのだといえます。

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【アインシュタインという人物】アインシュタインとはどんな人?~天才の生涯~最終章

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世界的に有名なアインシュタインの生涯と相対性理論がどんな経緯で発表されたかを前回までのブログでお伝えしました。

この度は、その後のアインシュタインと、さらに今まで触れていなかった妻と子供もお伝えします。

アインシュタインの2度の結婚

一度目の結婚は、チューリッヒ連邦工科大学で出会ったミレーバというアインシュタインより4歳年上の女性です。

ミレーバも科学に興味があり、大学時代はよく2人で喫茶店で科学の話をして楽しんだといいます。

始めは、双方の両親に結婚を反対されていましたが、アインシュタインの特許局の仕事が決まったのをきっかけに許しを得てめでたく結婚しました。

しかし、徐々にミレーバとの結婚生活は冷めていきました。

アインシュタインは、ミレーバよりも仕事と研究に夢中になっていくのです。

ミレーバにも問題はありました。

ミレーバは科学者として失敗している傍ら、夫のアインシュタインは論文を書き、教授となり、誰からも尊敬される人物になっていき、そんなアインシュタインに対しヒステリックになっていくミレーバと、そんなミレーバに対し冷めていくアインシュタインの2人の間には溝が深まっていきました。

しかしながら、ミレーバとの間には3人の子供がいました。

一人目は、長女レイチェル。

結婚前に産まれた為、生涯にわたって隠されていたそうです。

二人目は長男ハンス。

母親の苦労を見ながら育ってきた為、アインシュタインの事を尊敬しつつも憎んでいました。

三人目は次男エドアルト。

産まれつき病弱だったが、多彩な才能を持っており、記憶力はずば抜けて良かったといいます。

ミレーバとの関係が冷めていく中、アインシュタインはいとこのエルザに魅かれていきました。

そして、ミレーバとの離婚が成立し、1918年第一次世界大戦が終結した頃、アインシュタインはエルザと結婚しました。

その後、アインシュタインは1921年に「光電効果」の論文でノーベル賞を受賞したりなどで世界的に有名になり、多くの愛人がいたといいます。

ミレーバの時と同様、エルザとの結婚生活も冷めきっていったのです。




アインシュタインの失敗

アインシュタインは宇宙の空間は膨張などしないという「静的宇宙論」を主張していました。

ところが、アインシュタイン自身が考えだした「相対性理論」の式を使って宇宙の姿を計算してみると、静的な安定は無く、膨張するか収縮するかのどちらかの答えになるのです。

静的宇宙を主張していたアインシュタインは、一般相対性理論の式に「宇宙項」という式を付け足しました。

しかし、後に、これは間違いだと天文学者のエドゥイン・ハッブルの実験によって知らされる事になります。

宇宙は膨張していたのです。

アインシュタインは、宇宙項を付け足した事に激しく後悔しました。

この事を「生涯での最大の過ち」と語ったといいます。

アインシュタインの夢

1930年代になると、最先端の物理学では量子論が華となり、そんな時代に量子論は正しくないと主張していたアインシュタインは、もはや時代遅れの物理学者になってしまっていました。

アインシュタインは、量子論等の最先端の研究はする事なく、自分が興味ある研究にだけに時間を費やします。

それは「統一場理論」でした。

物理とは、一見、別々に見えるものも、本質をたどっていけば実は一つのものだと分かります。

特殊相対性理論は「電磁気力」からあみ出した理論であり、一般相対性理論は「万有引力」からあみ出した理論である為、アインシュタインは、「電磁気力」と「万有引力」の2つの力の統一に人生の全てをかけて研究に没頭しました。

しかしそれは完成する事なく、1955年、76歳で生涯を終える事となったのです。

アインシュタインが完成させる事が出来なかった「統一場理論」は、現在の物理学において、未だに解明されることなく重要な課題となっています。

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【アインシュタインという人物】アインシュタインとはどんな人?~天才の生涯③

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前回のブログでは、アインシュタインの特許局時代に論文を発表したところまでをお伝えしました。

それが、後の「特殊相対性理論」となる論文です。

アインシュタインの教授時代

アインシュタインの科学者としての名が世界中に広まってくると、大学は彼の事を放っておかなくなりました。

そこで、アインシュタインは、ベルン大学の私講師の職に応募してみたところ、すんなりと通ったといいます。

しばらくは特許局とベルン大学の私講師をかけもちしていましたが、やがて1909年、アインシュタインが30歳の時、正式にチューリッヒ大学の助教授になる事ができました。

人は、才能があるのに認められないと生意気になりますが、認められると謙虚になります。

当時のアインシュタインは、生徒から慕われる、良き教授でした。

彼の授業は、理論を押し付けるものではなく、生徒が興味を持ったものを分かりやすく教えてくれるものでした。

アインシュタインは、複数の大学からヘッドハンティングされ、引っ張りだこの日々だったといいます。

特殊相対性理論に足りなかったものとは

1905年に発表した「特殊相対性理論」には弱点がありました。

①等速直線運動をしている物体のみ適用する

②重力がある場合には適用されない

③物体のスピードや方向が変わると適用外となる。

 

上記のような「特殊」な場合にのみ適用するのです。

しかし、日常的に言うと、等速直線運動している物体なんてそうそうありません。

一般的な場合にも通用するような理論を考えなくてはなりません。

それが、「一般相対性理論」です。

アインシュタインによって、1915年から1916年にかけて論文が発表されました。

アインシュタインが36歳の時です。

 

当時のアインシュタインの名言があります。

「私が科学に没頭するのは、日常の生活の苦痛から逃れる為です。」




賞金首になったアインシュタイン

有名になったアインシュタインは、祖国のドイツとアメリカとの間を行ったり来たりして過ごしていました。

しかしその頃、第一次世界大戦で負けた余波で、ドイツは深刻な状況に陥っていました。

失業者があふれ、人々は将来に希望が見えなくなり不安の日々を送っていました。

そんなところへ、救世主と名乗る「ヒトラー」が現れたのです。

ヒトラーはこの不況の原因がユダヤ人であるとし、ユダヤ人を迫害し始めました。

そして1933年、ナチスが政権を奪い、ヒトラーはアインシュタインの名ををブラックリストのトップに挙げ、その首に賞金をかけました。

アインシュタインは妻や友人や住み慣れた街との別れを悲しんだ事でしょう。

原子爆弾の開発

1938年、ドイツの科学者のオットー・ハーンは、研究中に偶然奇妙な現象を発見しました。

ウラン235に中性子をぶつけると、ウラン236が出来ます。

しかしウラン236は非常に不安定なので、すぐに崩壊し原子核が分裂を起こします。

その結果、クリプトンやバリウムが生成されます。

その「ウラン236」と「核分裂後に生成されたクリプトンとバリウム」を比べると、核分裂の前と後では、0.1%だけ重さが軽くなっていたのでした。

その0.1%の重さは、果たしてどこに消えたのでしょうか。

ハーンはすぐに答えがわかったそうです。

アインシュタインの「E=MC2」の式にならって、0.1%はエネルギーに変化したのです。

これは、後に原子爆弾となり、第2次世界大戦で広島に落とされる事となりました。

 

このニュースを秘書から聞いたアインシュタインは、言葉を失い、激しい自責の念にかられたといいます。

 

アインシュタインの名言として残っています。

「第3次世界大戦がどんなものになるかは分かりませんが、第4次世界大戦なら分かります。石とこん棒が武器になるでしょう。」

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【アインシュタインという人物】アインシュタインとはどんな人?~天才の生涯②

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アインシュタインとはどんな人なのでしょうか。

前回のブログに幼少期~大学時代のアインシュタインの様子を述べています。

ここでは、その続きからお伝えします。

電磁波の発見とアインシュタイン

大学では、アインシュタインが学びたかった事は教えてもらえませんでした。

そんなアインシュタインが学びたかったものは、電気と磁気の学問でした。

電気と磁気を一つにまとめた理論を説明する学問を「電磁気学」といい、アインシュタインが大学生だった当時は最先端の学問だった為、教師は誰も教える事が出来なく、その為アインシュタインは大学の授業をサボって独学で勉強したのです。

その「電磁気学」を完成させた、ジェームズ・クラーク・マクスウェルという科学者が、「電磁波」のスピードを算出してみると、「秒速30万㎞」という光と同じスピードであるという数字が表れたのです。

このような事から、「光も電磁波の一種なのだ」という事が結論付けられました。

当時、電磁波はこのようなボールのようなものが宙に浮かんでいると考えられ、そしてそれを「エーテル」と名付けていました。

「エーテル」は、光を伝える物質だと考えられていました。

しかし、この考え方だと、光の速度が場合によって変わるのというのです。

そんなことがあるのでしょうか。

当時、この疑問が最大の謎でした。




「シンプル」は物理学にとっての美しさである

アインシュタインは物理学を勉強するにあたって、「特別」という考えが好きではありませんでした。

シンプルなものが美しいと思っていました。

この考えこそがアインシュタインの「相対性理論」を完成させる事となるのです。

特許局での仕事と3つの論文発表

アインシュタインは才能がありながらも、大学をサボっていた為、就職活動に難を示していました。

推薦者に生意気だと嫌われていた為、全ての就職先で不採用の結果が下されていたのです。

そんな頃、友人に特許局を紹介してもらい、めでたく就職する事になりました。

特許局では仕事は難なくこなし、空いた時間で研究に没頭していました。

紙とペンがあればどこでも研究ができたそうです。

こうして、1905年、26歳の時に、3つの論文を発表しました。

①光電効果について

②ブラウン運動について

③移動する物体の電磁気学について(のちの「特殊相対性理論」)

しかし、すぐには受け入れてもらえず、最初に評価されたのは、①光電効果でした。

そして、そのおかげでアインシュタインの科学者としての名は世界中に広がり、特殊相対性理論も徐々に受け入れられていったのです。

もしも、「特殊相対性理論」だけの論文を発表したのなら、奇抜な新人のおかしな発想としか捉えられず、注目される事はなかったかもしれません。

3つの論文を発表したからこその成果なのです。

改めて、アインシュタインとはすごい科学者ですね。

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【アインシュタインという人物】アインシュタインとはどんな人? ~天才の生涯①

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アインシュタインと言えば、「相対性理論」を確立した天才です。

それまでの物理法則を覆す論文を発表したのだから、かなりの天才だというイメージです。

そうでありながら、掲載されている写真や検索したら出てくる画像は、舌を出したひょうきんなオジサンです。

そんなアインシュタインとは、どんな人だったのでしょうか。

ここでは、アインシュタインの人柄や「相対性理論」にたどり着くまでの苦労などをお伝えします。

アインシュタインの幼少期

1879年3月14日にドイツのウルムという町で、アルベルト・アインシュタインは産まれました。

両親は貧しいユダヤ人であり、アインシュタインは幼少期を貧しく暮らしたそうです。

アインシュタインはひどくかんしゃく持ちだったそうで、妹におもちゃを投げつけた事もあったのです。

これだけでは終わらず、バイオリンのレッスンの先生に椅子を投げつける事もあったそうです。

 

5歳の頃、父親から見せてもらったコンパスを見て、常にコンパスの針が南北を指す事を不思議に感じ、「この世には、目に見えない不思議な力が存在する…」と、興奮しました。

これが、アインシュタインが科学に興味を持つきっかけとなったのです。





アインシュタインは、学校では目立たない大人しい子でした。

話をするのが苦手で、周囲からは馬鹿にされていました。

その一方で、成績は常に学年トップであり、特に理数系を得意としていました。

後の「相対性理論」へとつながるアインシュタインの疑問

アインシュタインは理数系の科目が得意であり、成績は常にトップクラスでした。

16歳の頃は、科学への興味はますます強くなり、一度抱いた疑問にはとことん答えを見つけ出していました。

しかし、当時のアインシュタインにはどうしても解けない問題がありました。

それは、「鏡に自分が映るのは、自分から出た光が鏡に反射して自分の目に入ってくるからであるが、もしも光の速さで自分が進んだら鏡に映らないのだろうか…?」という疑問です。

16歳のアインシュタインには、この疑問は解けませんでしたが、その後この疑問を考え続けた事こそが、後の「相対性理論」へつながる事になるのです。

サボってばかりの大学時代

高校を卒業後、チューリッヒ連邦工科大学へ入学しましたが、そこではアインシュタインが学びたい事ではなかった為、授業をサボってばかりいて問題児扱いをされていました。

試験のときは友人にノートを借り、一夜漬けで試験をパスしていました。

その頃のアインシュタインの名言があります。

「試験勉強は、頭にガラクタを詰め込むようなものです。」

勉強する事は、ただ単に覚えればいいという事ではなく、役に立つ事が大切だと言いたかったのでしょう。

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