【5分でわかる!】アメリカのアポロ計画とは~人類初の月面着陸~

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1960年代に宇宙開発がブームとなり、アメリカで人類初の月面着陸を成功させた「アポロ計画」ですが、様々な苦難を乗り越えて成功させたものでした。

ここでは、そのアポロ計画が成功するまでの背景をお伝えします。



アメリカの威信をかけて計画されたアポロ計画

第二次世界大後、当時のソビエト連邦を代表する社会主義の東側諸国と、アメリカを代表する民主主義の西側諸国という東西の対立構造が確立しました。

直接武力対決は避けつつありましたが、経済やスポーツや文化などの分野で優劣を競っており、ロケット開発の分野でも激しい競争を繰り広げていました。

人類初の月面着陸はアメリカのアポロ計画で成し遂げられましたが、それ以前に人類初の有人宇宙飛行は、当時のソビエト連邦が成し遂げていました。

1961年4月、「ボストーク1号」により、ソビエト連邦は世界初の有人宇宙飛行を成功させ、人類で最初の宇宙飛行士となったユーリ・ガガーリンが語った「地球は青かった」という言葉はあまりにも有名であります。

これによって、名誉をソビエト連邦に奪われたアメリカは、宇宙開発における劣勢を覆すべく、月に人類を送るという壮大な構想となる「アポロ計画」を発表するのです。

アポロ計画の成功

アポロ計画は、アメリカによって綿密に計画されていましたが、実現性に疑問を持たれるほど困難な挑戦でした。

1966年に新型ロケット「サターンIB」での無尽弾道実験を実施しましたが、翌1967年、発射台上での訓練中に火災が発生し、3名の命が失われてしまったといいます。

様々な失敗を乗り越え、「アポロ8号」が、念願の有人での月周回飛行に成功しました。

そして、ついに、「アポロ11号」が史上初の有人月面着陸に成功したのです。

月面に足を降ろしたニール・アームストロング船長が「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」という言葉を発しましたが、ガガーリンの言葉と同様に、現在も当時の有名な言葉として残されています。

アポロ計画の中止と宇宙開発競争の終焉

「アポロ11号」の成功に続き、その後もアポロ計画は進行しましたが、時代の移り変わりとともに、アメリカ国民のロケットブームは収まり、宇宙への関心は薄れていきました。

当初は「アポロ20号」まで計画されていましたが、国民の関心の低さや予算削減の事情により、1972年の「アポロ計画」を最後に計画は中止されました。

一方、東西冷戦を背景に行われていた米ソの宇宙開発も、1970年代には、米ソの緊張状態が緩和されすようになり、終焉を迎えることとなりました。

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